【2023年】新年のご挨拶と年頭戯言
明けましておめでとうございます。2023年も当サイト「TeraDas」をどうぞよろしくお願いいたします。
ということで早速ですが、毎年恒例となった年初のご挨拶といいますか、ともかく当て所もない戯言を、またしてもつらつらと書き連ねさせていただきたく。
昨年の年頭所感で我が国が抱える円安リスクについて指摘したところ、珍しく短期間で大当たりしたことに気を良くし、まずは今年も為替の話から始めさせていただきます。
2022年10月21日、我が国は1ドル=151円95銭水準という強烈な円安を経験しました。
日銀による度重なる為替介入の甲斐もむなしく、なし崩し的に進行する円安に「日本が売り崩される恐怖」を感じた方もいらっしゃるかもしれません。
その後は、効果的な為替介入が行われたことや、行き過ぎた円安の巻き戻しなど、様々な要因により12月後半にはドル円は131円台まで戻したものの(この記事は2022年12月22日に執筆しました)、以前は110円前後で推移していたことを考えれば、これでもまだ2割前後の円安水準ではあることから、依然として国民生活への影響が少なくないままでの年越し、となったわけであります。
さて、素材・部品・製造装置・輸送用機器分野では依然として強みがあるものの、資源に乏しく、幅広い分野の完成品を輸入に頼る本邦の通貨安は、ガソリン、ガス、電気料金、輸入物価の大幅な上昇のみならず、幅広い国産品の値上げにまで波及し、結果、我が国の足回りの脆弱さを身にしみて感じられる機会となってしまいました。
「脳直、夢の競演」。恣意的な短文が飛び交うこの SNS 政治時代。かつて喧伝されていた「円安こそ正義」「日本は高い。賃金安こそ未来」といった嘘の丘の向こうに見えた焼け野原、ということで、タラレバではない厳しい現実を国民の皆様に直視いただける極めて意義ある円安だったと思うのと同時に、「ナイスなタイミング・水準での介入」という見事な立ち回りからの「イールドカーブ・コントロールの上限引き上げ」というおもしろ金融政策により通貨防衛に成功した日銀に対しては、惜しみない拍手を送りたいところではあります。
さて、日米金利差の拡大につれ、かなり以前から本邦機関投資家を中心に外貨建て運用のドル調達コスト高が問題となっていた中、相場に不慣れな方々が大人同様ドル調達コストにまで考えが回っているか、一抹の不安を感じつつも、当の私はといいますと中長期的には125円前後が1つのラインとなると見ていたこともあり、円がオーバーシュートしたあたりで手持ちのドルはすべて手放し、久しぶりに現物のドルを持たず心穏やかな年明けを過ごしておるところでございます。
とはいえ、現状、ドル建て取引用の Margin Account にわざわざ日本円を預け入れ、金利差由来のコストまで負担する合理性を見出すのはなかなか大変でありますから、当面は様子見したくなる情勢であることは確か。
日本円スタートでの投資先を見繕う中、もともと建付けの複雑な金融商品が大好きな質も手伝って、アセットクラスのひとつとして Simplify Volatility Premium ETF(SVOL)とか組み入れたら面白そうだ、などと、いまだに低金利脳から抜け出せないメルヘンチックな状況を楽しんでいる状況です。
ということで、本当はこの辺りの話はせめて昨夏までには書いておきたかった内容にはなりますが、遅筆にかまけて今さら、この記事ではまずは、「為替の世界で高金利通貨が強くあり続けるには、厳しい条件がある」というお話をさせていただきたくてですね。
苔も生すような昔話で恐縮ですが、私がまだ右も左も分からない10代の頃、荒ら家に住みながらもなぜだか小銭を持っていることを嗅ぎつけた鼻の利く優秀な(悪口ですよ)証券営業に自宅まで押しかけられ、当時10%以上の高利回りを謳っていた南アフリカランド建て債をたんまりと売りつけられた、という失敗談があってですね。
その後、高金利通貨である南アフリカランドはものの数ヶ月で大暴落。うろ覚えですが、確か投資額の2~3割を失い、南アフリカランドはその後も長期に渡り凋落の一途を辿った、という苦い投資経験があります。
似た話としては近年だとトルコリラが挙げられるわけですが、ここから得られる教訓は、
「高金利通貨への投資は、政策金利が高く設定されている理由・背景まで見据えないと危なさもある」
という点を私は指摘したくてですね。
根源的には政策金利以上に成長する国の通貨であれば投資する価値もあるわけで、例えば、最近では人民元のような例は挙げられるわけですが、そのような場合でも現在のように内外金利差が大きくなってきますと、現地通貨の調達金利を意識する必要がありますし、また、ベースカレンシーを現地通貨とするとしても、例えば、米国株投資なら現地でのドル建て預金金利をアウトパフォームできるのか、という部分まで見据えないと、ドルベースではお金が目減りする結果になりよろしくない、という判断にはなってくるわけです。
吹けば飛ぶようなエマージング国と、かのユナイテッドステイツを一緒にするのはいささかでもなく乱暴ではありますが、2022年の FRB 利上げの背景にあるのがコストプッシュ型インフレだという点は考慮に入れる必要があります。もちろん、USDJPY には日本固有の事情も絡んできますので、一概に未来を示せはしないものの、そこが現状維持・イーブンと仮定して全体を俯瞰したとすれば、短期的にドル高が継続し続けるシナリオには懐疑的である、というのが、昨夏以降の一貫した僕の見方です。
(※ 内外金利差の話といえば、日本が大量保有している対外資産(流動資産が多い)が受ける影響も憂慮しています。)
話は変わりますが、旧ソ連の天文学者「ニコライ・カルダシェフ」は1964年、文明レベルを測る尺度「カルダシェフ・スケール(The Kardashev scale)」を考案しました。
出典:カルダシェフ・スケール - Wikipedia
- タイプI文明は、惑星文明とも呼ばれ、その惑星で利用可能なすべてのエネルギーを使用および制御できる。
- タイプII文明は、恒星文明とも呼ばれ、恒星系の規模でエネルギーを使用および制御できる。
- タイプIII文明は、銀河文明とも呼ばれ、銀河全体の規模でエネルギーを制御できる。
このスケールは、「文明全体が利用できるエネルギー量で文明レベルを測る」もので、それによれば、我々人類は最も低い「I型」にすら未到達であると分類されるのだそう。
カルダシェフ・スケールを国家の文明レベルに照らし合わせるのは不適切かもしれませんが、少なくともそこからの連想として、エネルギー資源の大半を輸入に頼る我々のような国にとって、自国通貨の価値と国家としての文明レベルの間にはただならぬ関連がある、と言ったとしても咎められはしないでしょう。
シンガポール滞在時のことです。金融街から徒歩圏内に位置する、とある豪奢なホテルの朝食ビュッフェには豪華な食材を使った各国料理が並んでいました。が、我々家族はそこにマレーシアからの輸入モノと思しき「萎(しお)れぎみの生野菜」がまぎれていたのを見逃しませんでした。細かいところですが、そんなところからも、星国が抱える「食料自給率の極端な低さ」という構造的問題を肌で感じられたりはするものです。
(※ 北緯1度の赤道直下に位置する星国では、もともと、衛生上の理由から生野菜を食べる習慣がありません。一方、最近では星国内での生野菜製造もされてはおり、食文化も変わりつつあります。しかし、依然として食料自給率は低いままであり、隣国マレーシアとの仲は悪い状況です。)
人と国土と太陽さえあれば、国家単独でどの程度の文明レベルを維持できるのか、という「国家の凄み」は間違いなく存在します。その点においてロシアは稀有な存在であり、大国といわれる所以もそこにあるのだと私は捉えています。
その点、我が国はエネルギー資源も含めた多くの資源を輸入に頼り、国家単独での文明レベルの盤石さという点では幾ばくかの心許なさを抱えている存在です。米・ロ・中・印といった大国視点で我が国を眺めれば、「萎(しお)れた野菜」と取られてもおかしくない要素はそこかしこにあるわけです。(「それでもなお一目置かれる存在である」という凄みだってあるわけですが)
先の大戦で我が国は、資源獲得を夢見て南方・大陸への進出を目指しました。しかし、結果は史実のとおり。さらにはアジア各国を自身の足で回ったことがある方ならご存知のとおり、我が国目線では親日と思われている国や地域であっても、日本統治時代の建物が意味深げに残されていたり、また、当時の歴史を記録した展示物・施設がネガティブな側面をも語り継いでいたりします。
(私のカメラロールには、某国国立博物館に展示されていた、特定思想の方なら見過ごさないようなパネル展示の写真があります。面白いもので、こういったものは意外と現地の日本人は拡散しないんですよね。)
私は、先の大戦を経て我が国は、政治と経済によって他国と共栄せざるを得ない立場であることを確認したのだと解釈しています。
排外主義に身を委ね、憎まれ口の1つでも叩けば一時的に気分が晴れる、なんて方もいるかもですが、果たしてそれが、我々が軛(くびき)から逃れるのに役立つかどうか、そして、我々にとって得になるのかどうかはよくよく考えて行動した方が良い、というのが私の思う所です。
戦争とは政治の延長線上にあるものではありますが、経営が分かる方ならば、少なくとも、バランスシートの資産の部を互いに爆弾でふっ飛ばしたあったところで、少なくとも我が国にとって得となることは少ないことくらいは理解できるでしょう。避けられる限りは避けるべき事態です。
日本円は今後、我が国が戦争に巻き込まれる恐れがあれば容赦なく売られる対象となるでしょう。戦争継続に必要な物資すら輸入に頼る我が国にとって、通貨防衛の観点からも争い事は避けるのが得策です。
さて、エネルギー事情といえば、冬になってからというもの、連日、⽇本卸電⼒取引所(JEPX)のシステムプライスが託送料金まで含めれば地域電力会社の規制料金+燃料調整額の上限を上回る日が続いており、また、エリアプライスも概ね似た傾向となっているのが気がかりです。
昨年以前から取り沙汰されているこの問題ですが、毎年こんな有様では市場からの電力調達を前提としている新電力がやっていけないことは明白です。
競争促進の目的から導入された電力自由化ですが、少なくとも現在の市況では電気料金の引き下げ効果など出ようがなく、むしろ地域電力会社の規制料金のほうが安価となる逆転現象も発生していることから、今年はこのあたりの問題を見据え、政府が何らかのメスを入れようとはするでしょう。もっとも、狙った成果が出るかは不透明ですが。
政策には財源が必要です。何をするにも財源不足に悩まされる我が国は、通貨の信認と引き換えに MMT という財政規律の鎖を緩める理由を見つけ出しました。しかし、本邦施政者の内弁慶ぶりはもはや伝統芸とも言えるようで、2022年は「為替」という海外とのインターフェース部分で綻びが出てきてしまった年となったわけです。
その一方で、昨年、我が国は世界に対して「(我が国の崩壊は)まだその時ではない」というメッセージを出すことに成功したとも私は捉えています。
為替に正解はなく、また未来の予言もできませんが、昨年からの流れを鑑みれば、そして、ウクライナ情勢が安定するならば、個人的には2023年は円高寄りか、いわゆる「mixed」な相場になるのではないか、とは感じるところではあります。
私は学生、というかそれこそ子供の頃から、(中国の台頭を前提として)日本はアジアにおけるイギリスのような立ち位置を目指すべきだと考えてきました。
覇権循環論に照らし合わせれば、二大政党制を否定した時点で我々は覇権国家としての立ち位置を早々に諦めている、との意地悪な見方はできなくもなく、まぁ、民意は暗黙的ではあるものの、国に「上手な坂道の下り方」を求めてきたのかもしれません。
前政権は、国家凋落の真実を隠すことでその需要に応え、国民の絶大な支持を獲得しました。私は市場原理主義者でありますから、それは票と議席の自由経済に基づく我が国の選挙制度を鑑みれば「正しい政治」であったのだろうと評価しています。
そして、その結果たどり着いた現在の日本の姿を見て、次に国民が何を求め、次世代をどう描くのか。また、ここ数十年のように、目先のやりくりに明け暮れるとしても、その先に何を見据えるのか、そういった大局を見据えた国家運営が、そして、地球文明の一員として我が国の位置付けを作ることこそが、ひいては通貨の信認回復につながるのではないではないかと考えるわけです。
うーん、これぞ徒然。そして時間切れ。
そんな感じで、今年も色々と余分なことを考えながら生き永らえていきたいです。
本年もどうぞよろしくお願いします。